後編|プロサッカー選手を引退後、ラグジュアリーブランドのランウェイにも登場。モデル・マイトが語るモデルという職業。そして今後の活動について
【サッカーのあるファッションライフを送るプロフェッショナルに迫る】バランススタイルでモデルを務める、モデル・マイトさんにインタビューをしました!中編では、流通経済大学付属柏高校サッカー部でのお話や、高校卒業してからプロサッカー選手になり引退までをお届けしました。
自身がプロサッカー選手になったからこそ、父の三渡洲アデミールさん、従兄弟の三都主アレサンドロさんの偉大さや、サッカーへのリスペクトを実感したマイトさん。今でもサッカーを続けていて、カンプノウでのサッカー経験などのお話も聞きました。今までの前編、中編も合わせてご覧ください!
そして、前編、中編では主に“サッカー”のお話しでしたが、後編はモデルのお話を中心にお聞きしました!中編でも少しモデル活動についてもお話していただきましたが、後編ではモデル事務所に所属し本格的なモデル活動をスタート。誰もが驚くほどの顔の小ささとスタイルの良さを持つマイトさんのとーってもかっこいいモデルのお写真も登場!ぜひ、チェックしてください!
▲ 雑誌「FINE」の表紙を飾るマイト
ーーサッカー選手からモデルへ、本格的に始めたのはどのような流れだったのでしょうか?
僕はプロサッカー選手を引退して、次の世界ではちゃんと逃げずに自分と向き合い、モデルとしての実力をしっかりと証明するしかないと思いました。誰かに頼ったりせず、自分で道を切り開こうと。まずは、モデル事務所を自分で調べることから始めました。そしてアポ無しでモデル事務所へ行くことに。今考えると、とても無謀だなって思いますね(笑)
ーーサッカー選手の時はスカウトが多かったけど、ここからは自主的になるんですね。
そうですね。新しい世界でちゃんと認めてもらえるように一から自分で動き出しました。
ーー何歳の時ですか?
22歳くらいです。
モデル事務所には、アポ無しで行き、マネージャーさんみたいな方に「アポ無しはやってない」って言われて追い返されました。その時、自分のことをちゃんと見てもらわないと始まらないと思ったので、閉められそうになったドアに、とっさに足を挟んだのを覚えています。そこから少し粘っていたんです。そうしたらちょうど事務所の社長さんが廊下を通ったんです。
ーードラマみたいですね(笑)
ほんとですよね。社長さんが通りかかり、後ろで「どうしたの?」って。マネージャーさんがアポ無しで僕が来たという旨を伝えたら、その社長さんが「通してあげたらいいじゃない」って言ってくれたんです。まるでドラマみたいな展開でした。そして、それがきっかけでその事務所に入所することができたんです。
▲ 雑誌「Wedding navi」の表紙を飾るマイト
ーーそこから、本格的にマイトさんのモデル人生が始まるんですね。
そうですね。新しいチャレンジでどうなるかわからない印象はありましたが、自分で調べ、自分で突き進んでいくことで、自分の足で歩んでいることを実感できました。
その事務所は、“つるん”とした「メンズノンノ」に載っているようなモデルが多く在籍している印象でした。何で系統の違う自分を入れたのか、後に社長に聞いたんです。「逆にそれがいいなって思った」というのが社長の意見でした。そして「事務所的にもそろそろ系統の違う人たちを入れて、そこをマイトに引っ張っていってほしい」って伝えられて、必ず結果を出そうと、強く決意したんです。
もしモデルになるきっかけがスカウトされて事務所に入っていたとかだったら、ここまで強い意志もなかっただろうし、今と同じ結果には至らなかったと思います。
ーーそうだったんですね。モデル事務所では、何のお仕事から始まったのでしょうか?
事務所で、「何をしたらいいですか」って初めて聞いたら、まず痩せるように言われました(笑)周りのモデルに比べると、明らかに体格がゴツかったんです。直前までアスリートだったので、まあ当然そうなるだろうな、と。
▲ Dolce&Gabbanaのランウェイを歩くマイト
▲ ARMANIのランウェイを歩くマイト
ーーそのお話、聞いたことあります!1ヶ月で10kg落としたんでしたっけ?
そうです。1ヶ月でマイナス10kgチャレンジというのをやりました。社長もここで僕の本気度を理解してくれて、それから色々な所に売り込んでくれました。
かなり無茶して、ご飯食べないのに走っていたから、謎の熱が出てしまい、入院したりもしました。でも、その努力が実を結んで、色んなお仕事をいただきました。ARMANIやISSEY MIYAKE、Dolce&Gabbanaなど、ラグジュアリーブランドのモデルもさせてもらいました。
▲ ARMANIのランウェイを歩くマイト
▲ ハリウッド女優のユマサーマンとの2ショットを撮るマイト。
ーーアルマーニでモデルをした時は、海外へいったのですか?
ミラノに行きました。
やっぱり思ったのは、素人って強いなってことです。サッカーの時と違い、何もかもわからないことだらけなので、その分身につくパワーが凄いし、失うものがないので前を向いて突き進むしかなかったんです。とてもエネルギッシュでした。今でもこのスタンスは大事にしています。怖いけど飛び込むこと、何もリスクを背負わなかったら何も起きないこと。成長しながらそのことを学びました。
ーー続いて、バランススタイルとの出会いについてお伺いします。きっかけは、元プロサッカー選手の斉藤紀由さんですよね?
そうですね。紀由くんが、バランススタイルのショールームがオープンした時のレセプションに誘ってくれました。
斉藤紀由さん:宮城県仙台市出身の元サッカー選手。2005年-2006年 アルテ高崎、2006年-2008年 ロアッソ熊本に所属。
ーー2016年くらいですよね。
はい、凄い華やかな会社だなって思って、アバクロ以来に勢いを感じる会社だなって感じました。
アバクロみたいで凄い気持ちよくて、業界を盛り上げていくんだという感じに、ずっと関わっていきたいなって思いました。エネルギーのバイブスがあって、それが色んな人と繋がるわけだから。
▲ バランススタイルで初の撮影をするマイト(2017年 マイト:25歳)
ーーバランススタイルでの初めての撮影は覚えていますか?
初め「エスデイズ(S’DAYS)」、「スペンド(SPEND)」のモデル撮影を少しやって、その後に「ジョカトーレ(GIOCATORE)」を出す時に撮影しようってなりましたよね。
ーー(初めての撮影時の写真を見ながら)初めての撮影の写真は、若く見えますね。
髪も短くて、肌の感じとかも若かったですよね(笑)この勢いがある感じもかっこいいですね。やっぱり若い頃の写真って貴重。大事に取っておかないとダメですね。
ーーたくさんあるので、いつでも写真お渡しします。
そういう昔の写真を形にして残してくれているのって、大事ですね。後々、あの時の写真あるよって、宝物になります。
ーーバランススタイルの印象はどうでしたか?
やっぱりアバクロの時と同じ勢い、エネルギーがあって、この場所に一緒にいたいなって思いました。そういう感覚的なことってありますよね。
ーー嬉しいですね。やっぱり会社としても、サッカー×ファッションの申し子は、マイトさんしかいないという話はしていました。
確かにそうですね。
ーー思い出に残っている撮影はありますか?
やっぱりジョカトーレですかね?初めてのバランススタイルでの撮影だったし、思い入れがあります。
ーー夕弥さんにインタビューしたときは、DUVETICAの撮影時の崖が思い出に残っていると言っていました(笑)
あー!それもめちゃくちゃ覚えています!(笑)
ーーその時は本当に寒くて、「マイトが本当は不機嫌だったけど、俺(夕弥さん)がいるから我慢してたんじゃないか」と、夕弥さんが言っていました(笑)
めちゃくちゃ寒かったですからね。でも、夕弥君の存在には、いつも支えられています。プライベートでもちょっと嫌な時期がありましたが、モデルの先輩が現場にいると、自分もちゃんとしなきゃなって身が引き締まります。
ーーでは最後に、今後はどのようなことにチャレンジしていきたいですか?
色々なことにチャレンジして、挫折や成功を繰り返し、少しずつ成長することが出来ました。
そんな中でバランススタイルの影響を受けた面も大きくて、自社ブランドを作ったり色んなブランドの商品を海外から取り入れたり、常に新しいことをしようということに情熱を注いでいるのを近くで見ていました。そして、自分も何か作ってみたいという気持ちを抱き、「バレンシアーノバイケルメ」というブランドのディレクションをすることになりました。
VALENCIANO BY KELME:シューズの専業メーカーとしてスタートし、現在ではスペインの総合スポーツメーカーのトップブランドとしてヨーロッパ全土をはじめ日本・中国・アメリカ・ブラジルと世界50ヵ国以上で販売を行う「ケルメ(KELME)」。スポーツブランドとして知名度の高い「ケルメ(KELME)」のCBO(Chief Branding Officer)に任命されたのがマイトさん。マイトさんのディレクションにより”ラグジュアリースポーツ”をコンセプトに「バレンシアーノバイケルメ(VALENCIANO BY KELME)」が誕生しました。
ーーそれはマイトさんがやってみたいと思っていたタイミングで、向こうから声がかかったんですか?
そうですね。ケルメを取り扱う日本の代理店さんからラグジュアリーブランドとのコラボをやりたいって話がありました。それを僕と一から作っていきたい、というオファーでした。
ケルメは元々レアル・マドリードのユニフォームサプライヤーもやっていたフットボールブランドとしてよく知っていたので、このチャレンジには胸が高鳴りました。
スポーツブランドがハイブランドとのコラボすることで、双方のブランドヴァリューをあげるプロダクトって、近年のトレンドじゃないですか。 ナイキやアディダスとかのそれはもう有名ですけど、ちょうどその話があった頃にFILAとFENDIのコラボが発表されていて。。。そのケースとかFILAがめちゃくちゃイメージアップしたなって思ったんです。
とはいえ、僕はラグジュアリーなブランドを作っているわけでもなく、既存のそう言ったブランドとのフックをできる背景はなかったので、自分の価値とケルメというスポーツブランドの背景を考えて、プランニングしました。
今、ケルメは世界的にシェアを拡大しているスポーツブランドです。そのグローバルブランドを支える背景に世界有数の生産背景を持っています。そして半世紀以上の歴史を持つスペイン発祥のブランドであること、これに僕が思うTOKYOというフィルターを通したデザインを落とし込んだ別軸のラインナップを展開することを提案し、スタートすることになりました。
ケルメは、元々スペインのバレンシアで生まれたブランドなので、僕は発祥の地に目を向けてリスペクトを忘れず作っていきたいという思いから、「バレンシア」という名前をブランド名に入れ用途と考えました。
そこで、色々調べていき、バレンシアの人たちは自分たちを「バレンシアーノ」って呼ぶことを知り、それだったらみんな繋がってて親しみがあるイメージですし、響きも良いと感じたので、「バレンシアーノバイケルメ」というブランド名にしました。
ーーブランドがスタートしたのはいつですか?
2021年スタートなのでまだファーストシーズンです。だから、僕的にはバランススタイル表参道ヒルズでの「バレンシアーノバイケルメ」のポップアップが終わり、ファーストシーズンからバランススタイルと関われることがすごく嬉しいことです。次は、11月にバランススタイル大阪でのポップアップも予定しているので、これからも、一緒に盛り上げていきたいです!
ーー最後に、皆さんにお聞きしている質問です。「あなたにとって、サッカーとは?」
人生のウォーミングアップアップです。