三浦知良「ドーハの悲劇」で忘れられない“ある後悔”初告白#カズ #ドーハの悲劇https://t.co/gVDv3YFf2u
— 徳島新聞 (@tokushimapress) 2019年4月4日
忘れてはならない最大の悲劇
日本サッカーを語る上で忘れられない出来事がある。それが「ドーハの悲劇」である。私もリアルタイムで見たわけではないが、サッカーをあまり知らない人でも聞いたことのある言葉ではないでしょうか。
ドーハの悲劇は1993年カタールのドーハで行われたW杯アメリカ大会のアジア最終予選で起こった出来事のことです。現在のW杯最終予選と違い、当時の最終予選は全6カ国が総当たり形式で戦い、その中で上位2チームのみがW杯本戦行きのチケットを手に入れることができました。
日本は4試合を終えて2勝1敗1分という状況で、最後のイラクに勝てば自力で初のW杯出場が決まる大一番でした。2-1で迎えた試合終了間際、イラクのショートコーナーからのヘディングが無情にも日本のゴールネットを揺らしたのです。
そのため、日本代表のW杯初出場の夢は叶いませんでした。日本国民の多くがW杯行きを確信した中でのまさかのゴールだったため、皆、絶望してたみたいですね。当時試合に出ていたラモス選手、中山選手、カズ選手らの当時のコメントなどを見返してみても悔しやがにじみ出ているのがわかります。
【 #あの年の今日 】
1993年10月28日は「 #ドーハの悲劇 」が起きた日。サッカー日本代表はロスタイムでイラクに同点に追いつかれ、ワールドカップ初出場を逃してしまいました。
(写真:岡沢克郎/アフロ) pic.twitter.com/9MrMZTihqm
— スポーツナビ サッカー編集部 (@sn_soccer) 2018年10月28日
今ではW杯に出ることは当たり前のように思われていますが、実はW杯本戦へのチケットを手に入れるアジア予選もかなりハードルが高いものになってきています。先日のアジアカップ決勝戦でカタールに敗れたことからもアジアのレベルが上がっていることがわかります。
初のW杯出場がかかった中でのロスタイムでの失点。これは確かに悲劇です。。この年がJリーグ開幕の年でもあったことを考えるとW杯出場への期待度は高く、多くの人が注目していたことがわかります。ちなみに、現在日本代表監督である森保監督はこの「ドーハの悲劇」の時のメンバーなんですよ!
1993年(平成5年)というのは「Jリーグ開幕」という歓喜と「ドーハの悲劇」が一緒に来た日本サッカー界を大きく変えた年であったことがわかります。
そしてこの二つの出来事は間違いなく今の日本サッカーに繋がっています!!