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サッカーのあるファッションライフ 2022年1月26日 (水) 2022.1.26

【矢野大輔】前編|『選手としてW杯に出場する』という夢を抱いてイタリアに渡り、後にザッケローニJAPANの通訳となった矢野大輔氏。通訳になるまでの道程、ザッケローニJAPANでの秘話、通訳として出場したW杯、今後の目標についての裏側に迫る!

エディター 筌口

前編:〜15歳でイタリアに渡った際のエピソード、サッカーを諦めて通訳になって乗り越えた壁、そしてザックジャパンの通訳オファーが舞い込むまで〜
「基本的にセリエAの選手って通訳つけないので、(通訳の存在が)すごく浮いていた」

ーー何歳からサッカーを始めたのですか?

矢野大輔氏(以下矢野):幼稚園の時からやってるんですけど、野球もやったりしてましたね。本格的にサッカーに絞ったのは小学校5年生くらいからですね。

ーーなるほど。サッカーをやろうと思ったきっかけはあるんですか?

矢野:やっぱりJリーグが始まるのもあって、周りもサッカーブームになってきたので、その影響ですね。

ーー矢野さんが何歳くらいの時にJリーグが始まったのですか?

矢野:僕が小6、中1の時とかにJリーグが開幕していますね。

ーーでは、Jリーグ開幕の少し前くらいにサッカーに切り替えてる感じですね。

矢野:そうそう。

ーーサッカーは最初どこのポジションをやられていたのですか?

矢野:僕、最初フォワードでしたね。サッカーを始めて比較的すぐ中3でイタリアに行きましたね。

ーーそうですよね。イタリアに行ったんですよね。プロになるという思いはどのくらいから思い始めていたのですか?

矢野:それはもうやり始めてからすぐにプロになろうと思っていましたね。Jリーグが始まったのもあったので、目指すところが明確でした。

ーーイタリア留学の際の最初のエピソードをお聞きしたいのですが、なぜイタリアに行こうと思われたのですか?

矢野:当時、三浦和良さんが1994年あたりにセリエAのジェノアに行って、その時にセリエAダイジェストっていう番組が始まったんですよ。当時イタリアのセリエAは最高峰だったので、その番組を見て、「すごいな」「レベル高いな」と思ってイタリアへの憧れを持ちました。
そんなことを思いながら過ごしていたある日、サッカーマガジンを見ていたら、イタリア留学という広告が出ていたので、「あぁこれだ!」と思ってイタリア行きを決断しましたね。

ーーそれはサッカー留学という感じなのですか?

矢野:そうそう。皆さんがイメージするような、いわゆるブラジルサッカー留学みたいなのと同じです。

ーー中学校3年生のどのタイミングで行かれたんですか?

矢野:中学校3年生の夏ですね。

ーー最初、イタリアに行く旨を両親に話したと思うのですが、反対だったり心配だみたいな話はありましたか?

矢野:両親にイタリアに行きたいと言ったのが中学2年生くらいの時でした。もちろん最初は『いやいや。まず高校行きなさいよ。』と言われましたね。今、僕も2人の息子の父親ですけど、同じことがあったら絶対反対しますもん(笑)。
今思うと、あの時の親のリアクションは間違ってなかったなと思いますね。

ーー確かにどの親でもそのリアクションになりますよね。中学2年生の時に伝えて、最終的に行かれたのが中学3年生だと思うのですが、その期間に両親を説得するために努力されたことはありますか?

矢野:情熱を伝えたり、やる気を見せたりというのは意識してました。あとはパスポートを勝手に取りにいったりしました(笑)。

ーーパスポートを中学生で勝手に取りに行く人は初めてみました(笑)。

矢野:たしかにそうですよね(笑)。でも、何かをやるにはやる気を見せないといけないって自分の中で思っていました。なのでとりあえず行動してみたんです。行動したら見てくれてるので。それで親も本気なんだと思ってくれたんだと思います。
親がイタリアに行くことを認めてくれたあと、ビザの申請期間とかが色々あって、1995年の7月にイタリアに行きました。


イタリア留学時代の矢野氏
ーーイタリアで、サッカーをスタートしてまず始めにどんなことを感じましたか?

矢野:それはもうレベルの違いに驚きました。ましてや僕なんて街の中学校でやってただけなんで、やっぱり凄いレベルの差を感じましたね。

ーーイタリアではクラブチームに入られてたんですか?

矢野:そうです。イタリアのクラブチームですね。僕らが日本にいた頃は中学校や学校でやる文化だったので、そこで初めてクラブチームでサッカーをしました。

ーーなるほど。そのクラブが向こうに行かれてからセレクションを受けて加入したんですか?

矢野:受けましたね。まずFCトリノの下部組織みたいなチームのテストがあって、受かるサテライトチームみたいなところに派遣されるんです。そこで晴れて所属という形になってサッカーができるわけです。

ーー日本人はクラブに1人だけだったんですか?

矢野:いえ、日本人のグループというか、日本人が集まる留学施設に入ってる子は基本的にまずはそこのチームに入る感じですね。ただ、15歳で入っていたのは僕だけだったので、年代という意味ではチームで1人でしたね。

ーーイタリアでのサッカーは年齢を重ねると共にどのように変化していきましたか?

矢野:やり続けてるとサッカーの自信も付いてきて、言葉も話せるようになってきて、良い方に変化していきましたね。
そして、日本人学校ではない現地の学校にも行くようになって、学校とサッカーをやりながら充実していました。


ーーイタリア語を全く勉強せずに行ったのですか?

矢野:そうです。使えた言葉はチャオとグラッツェくらいでしたね(笑)。
その他に、僕が行きの飛行機の中で覚えた言葉というのは、『ミセントマーレ』という言葉なんですよ。どういう意味かというと、ちょっと体調が優れないという意味の言葉です。イタリアにサッカーをしに行ってみたかった中で、どこか自信がなかったり、弱い自分がいて、自分がうまく行かなかった時に言い訳を一つ用意しておこうと思って『ミセントマーレ』を覚えましたね。

それから20数年後に、今度は本田圭佑がイタリアのミランに行くわけですよ。ミランへの移籍が決まったその日、日本代表の合宿で本田圭佑と一緒だったんだけど、その時に本田圭佑が僕に聞いてきたことが『大ちゃん、俺にボールを集めろって言葉を教えてくれ』って。
これがセリエAで活躍する人間とセリエAを志すだけで終わった人間の大きな違いですよ(笑)。もう全然違うでしょ?
体調悪いなんて言わない。(メンバーから)外されちゃうからね(笑)。

ーーそうなんですね(笑)。最終的にサッカー選手を断念されたと思うんですが、辞める前はイタリアでどのくらいのレベルまでいかれたのですか?

矢野:最終的には4部と5部を行ったり来たりという感じです。そのくらいのカテゴリーだと、交通費という名目で、お小遣いくらいはもらえていましたね。

それで大体22歳くらいになった時にちょうどその時に日韓ワールドカップがあってイタリア代表のお手伝いで日本に帰ってきていて、それが一つの節目でしたね。そのまま続けてはいたけれど、草サッカーレベルでしたね。

ーーサッカーを辞めると決断された時、どのような感情でしたか?

矢野:信念を貫くことも大事だけれど、やっぱりやりながら(自分のレベル感が)わかってくるわけですよ。それが大きな理由ですね。

あと、現役中の話ですが、サッカーと関わった仕事をなにかしたいと思った時に、2002年日韓ワールドカップがあったんですよね。コンパクトという会社で今も働いてるんですけど、当時その会社が、デルピエロのマネジメントをやってたんですよ。それで日韓ワールドカップの時に『大輔、日本でやるからデルピエロの家族の日本での滞在アテンドとか色々やることがあるから一緒に手伝ってくれ』と言われて、アルバイトという形で初めてやりました。
それが終わって正式採用をもらったという流れですね。


マネジメント業務で2005年にユベントスと来日した際の写真

ーー最初はアルバイトで日韓ワールドカップに関わって、その後サッカーか仕事どっちかにしようと決断がついたということなんですね。

矢野:そうですね。それまでは15時からの練習が多かったんですよね。でも、会社に所属することによって20時からの練習しか行けない日が出てきました。強いカテゴリーは早い練習時間というのが多かったので、その練習に行けないと下部リーグ6部や7部にだんだん落ちていくんです。加えて、土日に仕事も入ってきて、自分の試合に行けなくなることが多くなり、少しずつサッカーからフェードアウトしていったという流れです。

ーーそうなんですね。最初アルバイトで今の会社に入られたとお伺いしましたが、きっかけはなんだったのですか?

矢野:元々イタリアに来てから知り合った方達が立ち上げた会社だったんです。日本人とイタリア人のハーフの方がやっている会社で、それまでお手伝いしたりとかはあったんですけど、本格的に会社に関わったのはアルバイトになってからでした。

ーーなるほど。先ほど、デルピエロの家族のお手伝いをしていたとおっしゃってましたが、他にはどういったお仕事内容があるのですか?

矢野:日韓ワールドカップまでは、日本の高校やクラブチームがイタリア遠征とかで来た時に、現地コーディネイターのような仕事をすることが多かったです。現地の人と日本から来たチームの通訳とかで会社と関わり始めましたね。

ーーでは、もうその頃からマネジメントの会社で通訳に関する仕事をやられていたわけですね。

矢野:そうですね。ぼちぼちですがやっていました。

ーーイタリア語は何歳くらいで自信が持てるようになったのでしょうか?

矢野:自信が持てるようになったのは、通訳の仕事を始めてから結構後ですね。25歳くらいからです。

ーー通訳とかしながらもだんだん学んで行く状態だったってことですか?

矢野:そうですね。経験を重ねながら少しずつ自信を持って通訳出来るようになっていきました。

ーーそうなんですね。そのマネジメント会社に入って良かったことは他に何かありました?

矢野:いいことだらけですよ。僕は今でもそこの会社で働いてますし。
サッカーに携わり続けたおかけで、今こうしてインタビューとかでお話もできるし、高畠夫妻にもお会いできたし、いいことだらけです。
あとは、なかなかサッカーを仕事にするというのは難しくて貴重なことだと思うのですが、大好きなサッカーが日常になっているので、そういう意味でも本当に幸せだなと思います。

ーーサッカーが生業であり続けることはすごいですよね。話は戻りますが、マネジメント会社の社員になってから、大黒将志さんの通訳になったのでしょうか?

矢野:そうです。それも会社に入って良かったことの一つですね。当時、サニーサイドアップという会社がオグリ(大黒将志さん)のマネジメントをしていたんですよ。そのサニーサイドアップと僕が所属していた会社で繋がりがあって、「大黒がトリノに行くので通訳を探している」と連絡がきました。オグリと僕は同い年で、サッカーも好きだしということもあって、オグリの通訳をやり始めましたね。

ーー通訳の話がきた時は、大黒さんのことも知っている状態だったということですか?

矢野:もちろんもちろん。だって当時のオグリなんて日本代表のワールドカップ予選で点取りまくってて、「神様仏様大黒様」って新聞の一面に載っていた時だからね。


大黒選手の通訳時代

ーーその時期は僕も覚えています。大黒さんの通訳になって初めて、サッカー選手の専属通訳をやると思うんですけど、それで立ちはだかった壁や、乗り越えるために努力したことはありますか?

矢野:大変だったことは、基本的にセリエAの選手って通訳をつけないので、(通訳の存在が)すごく浮いていたことですね。通訳って基本的に日本人だけの文化なんですよ。

ーーそうなんですか。では、例えばセリエAにアフリカの選手が来ても通訳を付けないんですか?

矢野:そうなんです。通訳をつける文化がないので、チームが通訳を受け入れる土壌がないんですよ。だから、最初の方は「何お前ピッチに入ってるんだ」という雰囲気になっていました。「なんでお前が一緒に戦術練習混ざってるんだ!外に出とけ!」みたいな感じになって、ピッチの外から大声で通訳したこともありましたね(笑)。

ーー少し肩身が狭いというか、、、

矢野:狭かったですよ。なので、僕も選手や監督とかに積極的に話しかけたり、色々と試行錯誤しました。毎日いるとだんだん仲良くなってくというか溶け込んでいくので、時の流れと共に大分良くなりましたね。

ーー通訳の文化は今も日本人だけなんですか?

矢野:そうだと思います。今でも他の国には通訳文化というのは全然ないですね。

ーーそうなんですね。最初の通訳の経験は今の人生にどう影響していますか?

矢野:これは後々大切なことですけど、その時のトリノの監督がザッケローニさんだったんですよ。だから行っておいて良かったんですよ。

ーーあ、そうですよね。トリノ時代には既に仲が良かったんですか?

矢野:いえ。それが全く(笑)。

ーーそれは意外ですね。

矢野:トリノの時は、オグリも(試合に)出れたり出れなかったりで苦労していた中で、僕の当時の気持ち的にはオグリに試合に出るために頑張って欲しかった。
だけど、あんまり出過ぎた真似をせずに、失礼がないように通訳をしていた姿が後々良い印象として残ったのかな、と思いました。

ーーそういう姿を評価されていたんですね。専属で通訳になったのは大黒さんだけですか?

矢野:はい。専属はオグリだけですね。

ーー大黒さんにとって矢野さんに助けられた出来事もあると思うのですが、そういった面で何か印象的な出来事はありますか?

矢野:全くないです(笑)。
残念ながら一通訳の力なんてものは全然ですね。

ーー実際に通訳をしていて気をつけていることとか、信念を持っている部分はありますか?

矢野:先程まさに言ったように、「発言者の言葉をそのまま伝える」ことです。

ーー身振り手振りも伝えて、テンションも一緒になるように伝えるんですか?

矢野:基本的にはテンションも伝えるようにしてます。
これもね、後々わかっていくことなんだけど、ザックさんは結構諭すように喋ったり、時には強く言葉をかけたりとか、そういうのには全て意味があるんだなということに一緒にいながら気づくわけですよ。
それはザックさんが、優しく声をかけたほうがいいと思ってるから優しい口調で言ったりしているので、結局間に入る人間っていうのはその温度感だけを伝えて、言葉通り伝えればいいんだなっていうのは僕は通訳をやっていく中では一つ信念にしていることです。

ーー伝えようとはしすぎずに、自然体でそれを伝えるということですね。

矢野:そうそう。時にね、僕はザックさんとのコミュニケーションの数は多いから、何を言いたいのかっていうのはわかっているわけですよ。だけど、ザックさんもわざと、気づかせるために言ってる時もあるので、それを噛み砕いて伝えちゃうと選手のためにならない時もありました。

ーーもどかしい気持ちになるんですね。

矢野:そう。自分は本当にもどかしいんだけど(笑)。
でも、切り替えてそのまま伝えるようにしてから、気が楽になりましたね。

ーーなるほど。トリノではザッケローニ氏とはどのくらい一緒にお仕事されていたんですか?

矢野:トリノでは8ヶ月ですね。


日本代表の通訳時代

ーー結構短いんですね。後にザックジャパンの通訳になると思うんですけど、ザックさんからのオファーというですか?

矢野:そうです。これがね、本当に運命というか縁を感じるなと思ったことがあるんです。
そもそも、大黒と知り合って、当時の監督がザックさんだったのもすごく縁だなと思うし、それ以外にも、その後、2010年の岡田ジャパンの時に縁を感じることがありました。
岡田さんがヨーロッパに来るときは大体僕が運転手で一緒に回ったりしていたんですよ。
それで、岡田さんが2010年W杯の前に、リッピさん(※)やベンゲルさん(※)とかに会って、「W杯でオランダ、カメルーン、デンマークと試合するんだけどどんな印象を持ってる?」とか、色々聞きに行っていたんですよ。岡田さんって勉強熱心な方だから。

そういう視察期間があって、岡田さんの予定がたまたま1日空いたんですよ。その時に、当時ザックさんがユヴェントスの監督をやられてたので、岡田さんに「ザックさんと面識があるので、ユヴェントスに行きましょう」と言ったんです。
そして、空いた1日にザックさんと岡田さんが会って、ザックさんも自分が指導している選手が各国代表にいるから、情報を岡田さんに教えてあげたりしていました。
その時一緒に写真も撮ったんです。岡田さん、ザックさん、僕の3人で。
そこから2カ月後にザッケローニさんにオファーがいくわけですよ。

(※)マルチェロ・リッピ:世界制覇も経験した世界的名将。ユベントスの監督としてセリエAや欧州CLなどを制覇。その後、イタリア代表を率いて2006年W杯で優勝を果たし、欧州CLとW杯を制した史上唯一の監督となる。その後、中国の広州広大(現:広州FC)をアジアの強豪に育て上げた。現在は監督業を勇退している。

(※)アーセン・ベンゲル:1996年から2018年までプレミアリーグのアーセナルで22年間も指揮を執り続けた名将。2004年にはシーズン無敗優勝を成し遂げ、語り継がれる偉業となった。1995年から1シーズン半は名古屋グランパスの監督を務めており、日本でも親しまれている存在。

ーーなるほど。タイミングが良いということですね。

矢野:そうそう。当時は2010年W杯が終わってザックさんが日本代表の監督になるなんて全く思ってなかったですから。

ーーそうですよね。そして就任のタイミングでザックさんから直々にオファーがあったということですか?

矢野:W杯が終わってすぐザックさんが日本代表の監督になりますよね。するとほら、僕2ヶ月前に会ってるから「そういえば大輔、W杯前に日本代表の監督を連れてきてたな」ってなるじゃないですか。僕の印象がついているというか。
そういうのが色々重なって頂いたオファーだったので、ラッキーだなと思いましたね。

<中編に続く>

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