中編:まさに“サッカー×ファッション”の申し子!モデル・マイトが語る高校サッカーからプロサッカー選手までの道。
【サッカーのあるファッションライフを送るプロフェッショナルに迫る】バランススタイルでモデルを務める、モデル・マイトさんにインタビューをしました!前編では、幼少期から中学生までのマイトさんについてお話をしていただきました。10歳でスカウトされ、ブラジルの名門サンパウロFCへ入団後、チームメイトのカゼミーロ選手や、ルーカス選手、オスカル選手とブラジルでのサッカー生活を過ごしたマイトさん。ブラジルから日本へ帰国後、中学生で人生初の挫折をした経験も聞かせてくださいました。前編も合わせて、ご覧ください!
中編では、流通経済大学付属柏高校からプロサッカー選手になるまでのお話をお聞きします!父に三渡洲アデミールさん、従兄弟に三都主アレサンドロさんを持つマイトさんは、小さい頃から夢見ていたプロサッカー選手になることを実現!今まで身近にいたプロサッカー選手の凄さ、偉大さを、自身がプロになったからこそ感じたというマイトさん。今回も初公開のお話、お写真を盛りだくさんでお届けします!
▲ 流通経済大学付属柏高校サッカー部でプレーするマイトさん
ーー流通経済大学付属柏高校へは、どのようにして入学したのでしょうか?
僕がブラジルにいる時に、サンパウロFCに研修で来ていた木本コーチが、高校入学のきっかけを作ってくださいました。そして、流通経済大学付属柏高校を知り、入学することができたんです。
それまでの生活で、言葉も勉強も、ぐちゃぐちゃになっている部分があったので、中学の先生には「行ける高校はあるとは思うけど、その感じだとこれからが大変だよ」と言われていました。やはり、サッカーでユースへ行く場合、高校は自力で入らなければならないので、それは非常に難しいことで、大きな迷いがありました。
ーーユースに行ったら、進学は諦めるしかないってことですよね。
だからどうしようか本当に悩みました。流通経済大学付属柏高校へ進学する場合は、学費など全て免除だったので、条件面はかなり良かったです。さらにA特の上にあるS特という非常に良い待遇の特待生の枠を用意していただき、流通経済大学付属柏高校へ進学することを決断しました。
ーー流通経済大学付属柏高校への進学ということは千葉にお引っ越しですか?ご両親と暮らしていた期間はけっこう短いんですね。
そうですね。結局、中学1年生の終わりの方から帰国していたので、中学校生活の約2年間しか両親とは一緒にいませんでした。
▲ 流通経済大学付属柏高校サッカー部でプレーするマイトさん
ーーそれは寂しいですね。高校ではどんなサッカーをしていましたか?
最初は清水エスパルスユースでの挫折を引きずったまま高校に入ったので、自分の中でプレーなどが上手くいかなかったのを覚えています。けれど、高校で全く別の環境に行ったこと、中学校の頃は上手くいかなかった理由が「甘え」だということに気づけたこと、この2つのことが、高校での僕のサッカーを大きく変えました。
あまり良くない状況のまま高校に入り、そんな中で自分ができる限りのことを出すしかないと思っていたので、高校サッカーではハングリー精神を出してプレーすることに専念しました。そういったプロセスが、プロへの道が開いたのかなと思います。
ーー高校3年間は、毎年選手権に出ていたんですか?
チームは1年生の時と3年生の時は出場していました。僕自身が出場したのは、3年生の時だけです。
ーーポジションはどこでしたか?
その時はフォワードでした。
ーー背番号は何番でしたか?
背番号は11番です。
ーー女性関係も色々ありですか?(笑)
いやそれは無いです(笑)高校生で女性関係入ってきちゃったらやばいですよ(笑)
ーー高校では、丸坊主だったんですか?
そうですね。高校の決まりで丸坊主にしていました。
ーー3年間ですか?
3年生の選手権の時に、僕たちは坊主だとは思っていなかったですが、周りからしたら坊主だと思う程度の微妙な長さに伸ばしていました(笑)
世間的には坊主です、あれは。
ーーなるほど(笑)。高校卒業後、プロになったんですね?
実は、卒業してからプロの道が閉ざされていました。やはり選手権に出ていなかったこと、怪我だったことなどが災いしたんだと思います。
そしてその時に、サッカー選手の道ではなく、銀座でオープンしたアバクロ(アバクロンビー&フィッチ)のモデルをバイトとしてやることにしました。
ーー店舗に立っていた、あのイケメンの方たちですよね?
はい、店舗の中で上半身裸になりモデルをするという役目で、当時だいぶ話題になっていましたね。
その時の各フロアにいたメンバーもすごい人ばかりでした。ミスユニバース日本代表として出場していた神山まりあさんや、パリコレモデルで今は海外に住んでいるトップモデルのCHIHARUさん。あとはアンダーアーマーと契約しているアメフトの選手・栗原崇さんや、ラグビーの山田章仁選手の奥さんである山田ローラさんもいて、芸能人やモデル、スポーツ選手など、その後有名になった人も数多く在籍していました。
卒業後にアバクロにアルバイトとして入ったことがモデルを始めるきっかけになったと思います。
そして給料も高く、月に50万くらい貰えるんです。それから1年間に3回くらい海外に行く機会がありました。アジア代表のような扱いでイケメンが集まって色々なところへ行くんです。さらにそのイケメンの集まり中からピックされると、ニューヨークでの撮影があったりもしました。とにかく夢のあるお仕事なんです。
チャニング・テイタムや、アシュトン・カッチャーなんかもアバクロ出身ですね。有名なハリウッドスターまでも輩出してるスーパーブランドです。でも、すぐにブームは去ってしまいました…
そんな今までとは180度異なる場所で働いてるうちに、サッカーで負った足の怪我や、メンタルまでも治ってきました。
そして、幼少期からサッカー選手になりたいという夢をまだ諦めていない自分がまだどこかにいて。。。これは最後のチャンスだと意を決して、大宮アルディージャに3日間だけ練習生として再挑戦することになりました。その後それが、2週間、3週間と伸びていって結局3ヶ月くらいいました。
ーーでは、高校卒業から大宮アルディージャに練習生として参加するまで、少し期間は空いていたんですね。
そうですね。空いていましたね。
▲ 東京ヴェルディでプロとなったマイトさん
▲ 【前編】小学生の時の思い出で登場した小野伸二さんと、マイトさんの2ショット
ーーどのくらい期間が空いていたのでしょうか。
半年ぐらいです。アスリートとしてはとんでもないブランクですね。
大宮アルディージャでは、たくさん練習試合に出させてもらいました。ただその練習試合で大怪我をしてしまったんです。
その怪我が原因で、大宮アルディージャとの契約が続くかどうかという話になり、とても焦りました。でもそんな中、東京ヴェルディが怪我の状態の自分にオファーをくれました。とてもありがたい話だったので、ヴェルディに行こうと決めました。プロサッカー選手になるのが夢だったので、それが叶った嬉しさと、やっとスタートラインに立てた、そんな気持ちでした。
▲ プロサッカー選手としてピッチに立つマイトさん
ーー東京ヴェルディには、どれくらい在籍していたのですか?
1年半くらいです。しかしプロになった後、やっぱりそこでやりきった気持ちを抱いている自分もいました。甘かったですね。だからこそ、他のサッカー選手のストイックさを間近に見て、とても刺激を受けました。
僕はサッカーに打ち込んでみたり、辞めたり。今考えると、選択を迫られた時に、楽な方を選ぶことが多かった様な気がします。その当時は、そんな風には思っていませんでしたけど。
今さらながらにはなりますが、サッカーで結果が出ている出ていないに関係なく、真摯にサッカーと向き合っているプロサッカー選手をリスペクトしています。
ーーサッカー辞めるきっかけは、モデルの仕事がまた始まったからですか?
アバクロで知り合った仲間にモデルも多かったですし、ヴェルディ在籍時も東京に住んでいたので沢山情報が入ってきました。ちょうどその頃は、サッカーが上手くいかなくて悩んでいた時期だったので、すごく葛藤したのを覚えています。そんなタイミングの時にユニクロのモデルをする機会が舞い込んで来ました。ここでもうサッカーじゃないのかな、って実感しました。
そして、サッカー選手としての人生を終える決意をしました。未練や後悔などのネガティブな感情は一切無く、「ありがとうございます!凄い世界でした!!」という感じでしたね。
この時、改めて、父(三渡洲アデミール)やアレックス(三都主アレサンドロ)の偉大さに気付き、より大きなリスペクトの気持ちを抱きました。
とにかく沢山のことサッカーから学び、挫折も成長も味わえた。感謝しかありませんし、サッカーをするに当たり、関わって頂いた全ての方にありがとうと言いたいです。そしていつも一番近くで見守ってくれていた両親の愛情に対する感謝の気持ちは、言葉では言い表せません。
短いプロ生活でしたし、大きな活躍はできませんでしたが、全ての経験が今後の人生にプラスになると思っています。実際に今、そうなっていると思います。
今でもサッカーを続け、カンプノウのピッチに。
大人になった今でも大好きなサッカーを続けているというマイトさん。2019年6月には、サッカーをプレーする人なら誰もが憧れるカンプノウでFCバルセロナで活躍を果たしたエジミウソン・ドス・サントス・シルバや、ハビエル・ペドロ・サビオラ・フェルナンデスなどFCバルサOBと対戦を果たしたそうです!
<後編へ続く>
〜次回配信〜
後編:プロサッカー選手を引退後、ラグジュアリーブランドのランウェイにも登場。モデル・マイトが語るモデルという職業について。
プロサッカー選手を引退し、サッカーへのリスペクトを実感したマイトさん。引退後に決めたのはモデルとしての道。ドラマのような展開でモデル事務所へ入所し、その後あの!ラグジュアリーブランド“〇〇”や、“□□”のモデルを務めるまでに!そして、バランススタイルについてや、今後のマイトさんの展望について大公開いたします!
ぜひ、後編も楽しみにお待ちください!
前編|父に三渡洲アデミール、従兄弟に三都主アレサンドロを持つ、三渡洲舞人の生い立ちに迫る。〜10歳で単身ブラジル・サンパウロFCへ入団〜