「サッカー × ソムリエ」という異色の肩書きで挑戦し続ける“ソムリエくん”に迫る!
東京都社会人リーグ1部で無敗優勝を成し遂げ、関東リーグ昇格を賭けて第55回関東社会人サッカー大会へ参戦中の社会人サッカークラブ「エリース東京FC」。バランススタイルモデルの福田愛大さんも所属しています。そのエリース東京FCで愛大さんのチームメイトとして活躍しているのが、今回インタビューさせていただいた神沼拓海(かぬまたくみ)さん。
横浜FMの下部組織出身で、高校は石川県の遊学館高校サッカー部、大学は東京農業大学サッカー部と、サッカーに身を捧げた学生生活を送ってきた神沼さんは、現在社会人サッカーを続けながら地元横須賀で「家庭料理とワインのお店 レストア」をオープンし、お客様に笑顔を届けています!
大学卒業後にワイン商社に入社し、ソムリエの資格を取得するなど、3年働いてから独立。社会人サッカー選手を続けながら友人と共に地元で家庭料理とワインをメインに飲食店をオープンした神沼さんはまさに「サッカー × ソムリエ」を体現している方と言えます。
今回、神沼さんに、「大学卒業までのサッカー人生」「なぜワインの道に進もうと思ったのか」「なぜ地元で、なぜこの時期に開業しようと思ったのか」など、詳しくお聞きしてきました!神沼さんのサッカーに対する熱い想い、目標の為に努力する姿勢など、お話を聞いていて尊敬する部分がたくさんありました。皆さんにも、是非ご覧になっていただきたいと思います。
前編、中編、後編の3部作でお送りしますので、チェックしてみてください!
前編:〜大学サッカーまでの道のりと、ワイン商社に入社した理由〜
「ワインは(周りの)誰も関わっていないじゃんと思い、ワイン商社に進む選択をしました。」
ーーサッカーを始めたキッカケはなんですか?
神沼拓海氏(以下、神沼):友達に誘われて始めました。めっちゃ普通の理由です(笑)。
ーーなるほど。そこから直ぐにプロサッカー選手を目指しましたか?
神沼:そうですね、地元のサッカーチームが強くて、中学生に上がる時に、横浜Fマリノスジュニアユース追浜に合格したので、それからはひたすらサッカー三昧でした。
ーーそうですよね、そこに入ったら横浜Fマリノスのトップチームが目標ですもんね。
神沼:そうですね。でも、そこで挫折したんです。体も小さく、身長も140cm位しかなくて、他のメンバーは160cm位が普通だったので、圧倒的なフィジカルの差で全く通用しなくなってしまいました。試合も出たり出なかったりで、ユースにも上がれるわけがなく、楽しかったんですけど、辛い経験も多かった3年間でしたね。
ーーなるほど。ポジションはどこをやっていましたか?
神沼:小学生の頃はフォワードとサイドハーフとかやっていましたね。僕は左利きなので左サイドハーフでした。サッカー経験者あるあるで、スピードとかが通用しなくなってきて、徐々にポジションが下がっていく事があるじゃないですか、それで左サイドバックも経験しましたね(笑)。
ーー僕も同じ経験しました(笑)
神沼:ですよね。左サイドハーフと左サイドバックとかやっていたんですけど、中学2年生の終わりに急にボランチに転向しました。そこから試合に絡んだりとか、1つ上の学年に上がれるようになったりして、そのタイミングから勝負できるようになりました。
その時期からはずっとボランチで出場するようになって、夏のクラブユースで全国出たんですけど、その時も試合に出れていたんです。その大会で石川県の遊学館高校という、僕が進学したチームが試合を見に来てくれていて、オファーのようなものをいただきました。
僕を一番求めてくれるチームに行きたいと思っていたのと、試合に出たいという部分が中学で一番感じていたとこだったので、石川県の遊学館高校に進学しました。
ーーなるほど。その時には、横浜Fマリノスのユースには上がれないことは分かっていたんですか?
神沼:分かっていました。僕は、ユースに上がれるかなっていうレベルではなくて、ユース上がれないなって感じだったので、ユースに上がれるか上がれないかの発表の時も、コーチから「今後どうしましょうか」みたいな会話から始まりましたね。
ーーなるほど。遊学館に進学してからのサッカーは、どうでしたか?
神沼:高校時代は、地獄の3年間で…(笑)。
ーーそうなんですか(笑)。具体的にどんな地獄だったのでしょうか?
神沼:髪の毛なんか1回もなかったですし、ずーっと五厘っていう(笑)。
「走る」「草むしりする」「サッカーは全部蹴る」という記憶です。本当に昭和時代のような学校でした(笑)。
昔に帝京高校が日本一になりまくっていた時代の方が監督で、キツイ事をして日本一になったっていう自負があったので、同じことをやるんですよね。
ーーあー、なるほど。
神沼:はい。ですが、右向けって言われたら右向かなきゃいけないし、そんな中で3年間やって、同じ県には星稜高校がいたので、結果も出ませんでした。星稜高校は、1つ上の学年で全国3位、僕たちの学年で全国2位、1個下の学年で全国優勝という、最強の時代でしたね。
ーー寺村選手とかがいた時ですかね?
神沼:そうです、寺村選手は同い年でした。
ーーなるほど、そうですね、その時は本当に黄金期ですね。
神沼:はい。結局、いつも決勝で負けちゃうっていう。
ーーなるほど。でも決勝って言ったら、遊学館と星稜って感じですよね?
神沼:そうです。結構いい試合して盛り上がるんですよ!
でも、絶対負けるんです(笑)。ちゃんと実力差があるので、頑張ってPKとか、そんな感じでしたね。
ーー高校の時は、ボランチをやっていましたのでしょうか?
神沼:いや、高校の時はトップ下をやっていました。
蹴ったボールを拾って、僕に落としてもらって、そこから攻撃が始まるみたいな感じです。結構自分のやりたい事とかをしていたので、監督とかと揉めたりすることもありました(笑)。
キャプテンもやっていたんですけど、3回くらい(キャプテンを)辞めて戻ってを繰り返して、色々チームに迷惑もかけていました。
ーーなるほど。最後の選手権は試合に出れましたか?
神沼:はい、ちゃんと出れました(笑)。
ーー良かったですね!東京農業大学に進学したと思うのですが、その理由はなんですか?
神沼:偶然、遊学館の1個上の先輩が農大でサッカーやってたので、気になり始めました。遊学館ってほとんどの人が大学でサッカーを続けないんですよ。サッカーのレベル的にも厳しいものがあって。なので、全国ベスト8などの実績が無いと大学と試験が受けれないとか、パイプがなければ門前払いみたいな感じでした。
それでも、コネがあれば練習参加できたので、1個上の先輩の繋がりがあった農大サッカー部の練習に参加しました。そこで高評価を貰えて、スポーツ推薦ではなかったのですが、一般推薦で入部できました。勉強はちゃんとやっていたので推薦入試を受けて入学しましたね。
ーーそうなんですね。その当時から東京農業大学は関東リーグでしたか?
神沼:関東2部でした。1年生の時は、ベンチには1回も入らなかったのですが、トップチームに行ったり、行かなかったりぐらいでしたね。でも、1年で東京都リーグに降格しちゃったんです。
ーーそうですよね、確か1回降格しましたよね。
神沼:はい。2年生からは試合に出てて、1年で関東リーグに戻ったんですよ。なので、大学3年生で、関東リーガーです。
※関東リーガー:大学サッカーで関東リーグに出場したことのある選手を、関東リーガーと呼ぶ。大学サッカーあるあるな呼び方です
ーーなるほど、2年生から試合に出場し始めて、そこから3年生と4年生の頃はずっとレギュラーって感じですか?
神沼:そうですね、最初は僕よりも上だと思うボランチが同い年で3人いたんですよ。圧倒的に僕よりも上っていう選手が。1年生の頃は「これヤバイな」って思ってたんですけど、徐々にフィジカルが付いてきて、2年生の頃に公式戦に30分くらい出ることができました。そこから1回もレギュラーを外れてないですね(笑)。
ーーそんな長い期間レギュラーを張り続けられるのはすごいです。
神沼:その一発で完全にレギュラーを掴んだって感じですね。後は、やればやる程(感覚も)良くはなっていくので、そのままずっと試合に出ることが出来ました。
ーー体を大きくする為に努力した事はあったりするんですか?
神沼:フィジカル系のトレーニングは結構やってましたね。筋トレとかは特に。
ーー長い間関東リーグでプレーしてたら、プロに行きたいなっていう気持ちは芽生えませんでしたか?
神沼:そうですね、正直(プロに行けて)J3。本当に運が良くてJ2という風に考えていました。
しかし、就活をしながらサッカーを頑張るつもりだったんですけど、4年生の前期で骨折してしまったんです。
ーータイミングが悪い時に怪我してしまったんですね。どこを怪我したのでしょうか?
神沼:練習中に鎖骨を折ってしまって、医者には全治6ヶ月と診断を受けました。
ーー4年生の時に全治6ヶ月鎖骨って結構長いですもんね。
神沼:そうなんです。でも、綺麗に折れてたので、手術で戻して、包帯ぐるぐる巻きにして2ヶ月で治したんですよ。
ーー6ヶ月を2ヶ月ですか!早いですね(笑)。
神沼:包帯ガチガチでやってました(笑)。
でも、前期は試合に出ることができなかったので、学生コーチをやったんですよ。2ヶ月間学生コーチをやって、その後の6月、7月頃に行われたアミノバイタルカップという大会で復帰したんですけど、1回も練習試合にも出ないまま公式戦一発目で復帰するっていう(笑)。
ーーめちゃくちゃ監督に気に入られているじゃないですか!(笑)
神沼:骨折する前が人生で一番(サッカーの)調子が良かったんです(笑)。そのイメージもありつつ、2ヶ月で復帰してからもめちゃくちゃ動きが良くて、僕も監督も「これならいける」みたいな雰囲気はありました。
僕が大学4年生の頃、三浦佑介さんという方に監督が変わったんですよ。明治大学サッカー部で10年間コーチをやっていた人で、長友選手とかも指導していましたし、毎年プロに進む選手を見ている人からお墨付きをいただいていたので、僕も自信が付いていましたね。
それだけに怪我をするタイミングはとても悪かったですね。Jリーグとの繋がりも持ってる監督だったので、もしかしたらプロを目指せるかもと思っていたら調子乗って怪我したっていう、あるあるのパターンでした(笑)。
ーープロへ進むか進まないかに関しては4年生の前期は1番大事な時期ですよね。その後、大学サッカーが終わりに近づいて来たときの心境の変化はいかがですか?
神沼:プロという道に関して後悔はなかったです。大学サッカーのチームメイトにはとても恵まれていたので最高の形で終わりたいなという気持ちだけでした。
幸い、怪我から復帰してからも試合にはずっと出させてもらえていたので、自分もサッカーに集中しながら仲間たちと様々な思い出を作りたいと思っていましたね。
ーーなるほど。上手く気持ちの切り替えが出来ていたんですね。
神沼:中学生の時にトップレベルの選手たちを拝見して、「こいつらとはモノが違うな」と思ってしまった部分があります。それを気にせずに一生懸命に頑張ってきたけれど、大学に入った時期からは正直プロを視野に入れていると言ってはいるものの、現実味を帯びていないなと感じてしまっていました。
「絶対にプロになる」と、そこまでの覚悟がある選手も周りにはいて、僕より可能性ないなと思っていた選手でも就活もせずに頑張っている姿を見ると自分は中途半端だなと感じていました。ただ、サッカーに対する想い、サッカーに賭けている想いは誰よりも負けないぐらいあったから、「最後まで後悔しないくらい学生サッカーをやろう」と最後までやり切りました。
ーーかっこいい姿だと思います。卒業して、ワイン商社に就職したきっかけは何ですか?
神沼:それも先程のプロの話と通ずるところがあるんです。ずっと海外に憧れがあって、就活するかプロになるか考えていた時期に、サッカーで海外に行ってみたいなと思っていました。
そこで、1、2週間ぐらいアメリカとカナダに行ってみたんですよ。プロテストを受けたり、現地の外国人と一緒にサッカーをして過ごしていました。その時、お酒もすごい大好きだったので海外でも飲んでいたんです。そこで知ったことは、海外では日本よりもワインが根付いていたこと。
そこでワインに出会い、ワインは(周りの)誰も関わっていないじゃんと思い、ワイン商社に進む選択をしました。
サラリーマンになるのも嫌で、何かやるなら自分で独立したかったし、他の誰かと同じことをしたくなかったという思いの上でこの判断をしましたね。
ーーということは、元々どこかで起業するつもりでワインの商社に入社したんですか?
神沼:いえ、独立するためにワイン商社に入ったわけではなく、単純に海外に興味があったからなんです。食や酒が好きで、色々な国や地域に出張で行くのでサラリーマンっぽくないところに魅力を感じて、ワインの会社がいいなと思いました。
幼い時からサッカーにずっと向き合ってきて熱中してきた経験がある中で、ワインというジャンルも、専門的な分野を極められるので面白いなと感じましたね。
ーーなるほど。ワイン商社は前々から内定を貰っていた会社なんですか?
神沼:そうですね。4年生の5月には内定を貰っていました。大学あるあるだと思うのですが、就活の時期になると就活を言い訳にして練習に来なくなる現象が多くなると思います。僕はそれがめちゃくちゃ嫌だったんですよ。4年生になると練習に来なくなって、最後引退の時期になると真面目にやり始めて、辞めていくみたいな。
僕の代のサッカー部は、『自分たちが農大サッカー部だったことを誇れる4年間にしよう』というのがスローガンだったので、僕の代からは就活の時期でも練習を休むのを基本的に禁止にしたんですよ。
ーーそれは、Aチームも含めて全部のチームで禁止にしたんですか?
神沼:はい、そうです。でも最終面接とかが練習と被ってしまって休むのは全然OKで、練習に1時間でも出られる時間があるなら、練習に少し出てからその後面接に行くことを徹底していました。
そういう取り組みもあったので、みんな早く就活を決めようと頑張っていましたね。なので、僕も4年生の5月にはワイン商社に内定をもらうことが出来ました。
<中編へ続く>
家庭料理とワインのお店 レストア
ーーよこすかの魅力をぼくらが東京で学んだワインと飲食を通して伝えていきたい。
「ワインをもっと身近に、食をもっと豊かにすること。」「全力で楽しんでもらうこと。」。
ワインは料理の良さを引き出したり、お互いの足りないところを助け合ったり、1+1=∞の可能性を秘めている唯一のお酒だと思っています。
ワインってまるで人間のようだなと。
自分の足りないところは大切な人に助けてもらえばよい。逆にたいせつな人の足りないところは、自分が補ってあげればよい。
そんなワインの魅力をお伝えしていければと思っております。
“日本一サッカーが上手いソムリエ”
“ソムリエくん”
神沼拓海
【店舗情報】
「家庭料理とワインのお店 レストア」
住所:神奈川県横須賀市久里浜1-4-3
電話番号:080-2011-4400
公式サイト:https://restorewine.thebase.in/
【公式SNS】
Instagram:https://www.instagram.com/restore_kurihama
【ソムリエくん】
note:https://note.com/manka0221
後編:〜地元でお店を出した理由と、いかに地元の方々を巻き込むか考え抜いた中でのお店の在り方〜「今までの僕の人生の全てをこの店に集約しました。」