▲ Canon(キャノン)
▲ SONY(ソニー)
▲ Asahi(アサヒ)
アジアモデルの先駆者。モデル・工藤夕弥が語る海外でのモデル活動について
【新企画】「サッカーのあるファッションライフを送るプロフェッショナルに迫る」、今回はバランススタイルでモデルを務める、モデル・夕弥にインタビューしました!夕弥さんは、小学校4年生から大学4年生までサッカーを経験し、その後モデルに。日本から香港へ飛び立ち、後にアジアモデルの先駆者となった1人です。
海外では、アサヒビール、SONYやCanon、Levi’sなど様々なナショナルクライアントの広告、モデルを務め、アジアトップモデルとして活躍!当時の貴重なお話やお写真もいただきました!!
ーーまずは、モデルを始めたきっかけから聞かせてください。
夕弥:大学の時に、周りからやってみたらって言われて、やってみようかなと。当時はネットもないからやり方とかもわからなくて、、、そうしたら知り合いの友達で業界の人がいて、「こういう事務所があるから写真送ったらいいんだよ」って紹介してくれて応募したのがきっかけだった。
それまでは街でファッションスナップなどはあったが、ちゃんとやり出したのはそれがきっかけ。最初は日本でスタートした。
ーー最初は日本で活動し、その後どのような流れで香港に行ったのでしょうか?
夕弥:日本の事務所に、香港の事務所から「香港に来てくれるモデルいませんか?」ってオファーがきて、事務所から勧められた。その勧めに俺は「別にいいよ」って答え、事務所が所属モデルの資料を全部送って、その中から「この子(夕弥)に来て欲しい」って話に。事務所から「2ヶ月ぐらい香港おいでって言われたけど、どうする?」って言われて、軽い気持ちで2ヶ月ぐらい海外住めるならいいかなって思い、香港へ。
ーー海外への抵抗はなかったですか?
夕弥:抵抗というか、最初は「香港ってモデルいるの?モデル事務所ってあるの?」って印象だった。来いって言われたけどほんとにあるのかなって、「人身売買じゃないの?」って不安もあった。言葉は大学受験をしていたので、英語は言いたいことは伝えられる程度に話せた。広東語は全く話せなかったから、半分ぐらいしかわからなかったけど、結構新しい環境に飛び込むのは大好きだから香港へ行くのは面白そうって思った。ただそれだけ。
ーー言葉も通じないのに、最初は大変ですよね。
夕弥:最初は、香港がどこにあるのかすらもわからない中行ったから、俺も今考えたらよく行ったよなって思う。何も香港についてはわからなかったから。香港といえば、ジャッキー・チェンぐらいしか分からなかった。
日本で、同じアルバイトの中に中国人の子がいたわけ。中国の子に、生活費がどれくらいかかるか聞いたら、1ヶ月1万円ぐらいと聞いていたので、3万円を握りしめて香港に行ったのね。実際に行って生活用品とか買ったりしたら、物価が中国と香港で全然違い、3日で使い果たして、その時は「やばい、どうしよう」ってなった。
▲ Carlsberg(カールスバーグ)
ーー香港では、何の仕事から始まったのですか?
夕弥:1番最初に香港に着いて決まった仕事がカールスバーグの広告。その後は、最初は大変だった。向こうから「来い来い」って言われたから、仕事が詰まっていると思ってたわけ。最初は仕事が決まっていていけるかなって思ってたけど、そんな甘くなくて、訳も違うし、、、だから結構最初は大変だった。
▲ Levi’s(リーバイス)
▲ Levi’s(リーバイス)
▲ marie claire(マリ・クレール)
▲ HSBCホールディングス
ーー香港での撮影は日本とは違いましたか?
夕弥:日本での撮影と香港での撮影は違ったねー。香港は日本と比べてちゃんと整備されていなかったね。日本の現場だと15分前にスタッフさん、メイクさん、カメラマさんが準備をしていたけど、香港の一番最初の現場は15分前にスタジオに行ったらスタジオも閉まっていて廃墟みたいなところだったから、最初は間違えたかと思った。
香港は当時は地図や住所を渡されて、ここに行ってってスタイルだったから驚いた。日本のように整っていて、スタッフも至れり尽くせりな感じではなかった。
ーー香港での印象に残っている仕事はありますか?
夕弥:CMと広告の仕事があって、25時間CMの撮影をして1回家に帰って、服だけ着替えて、広告の撮影に入った時はきつかった。25時間の拘束は、撮影と待ち時間で結構大変でした。
あと、CMの撮影で中国・雲南省に行ったんだけど、標高が富士山より高い4,500mの村で撮影したのね。だから、道路を車で走ってると、雲の中を通ったりするわけ。そこは空気が薄いから、スタッフさん達がみんな高山病になって寝込んだり、簡易酸素ボンベで“スーハースーハー”やっていたり。(笑)でも、俺だけなんともなかったんだけどね。(笑)
現地の人がリアルに馬に乗って走ってたりしていた。夜にご飯へ連れて行ってもらって、キノコの鍋をご馳走になったのね。鍋にはキノコが山盛りになっていたけど、俺はあまりキノコを食べてなかったら、店の人から「このキノコ、日本人が、大好きなキノコだぞっ」て言われて良く見たら、なんとマツタケで、それを聞いてから松茸ばかり腹一杯たべたね。人生であとにも先にも、あんなにたくさん松茸を食べたことはないね。(笑)
ーーアジアは他にどこに行きましたか?
夕弥:海外のモデルは多いんだけど、3ヶ月スパンで移動していくのね。香港に行って次の3ヶ月は台湾に行って、シンガポールに行って、とアジアツアーみたいになるわけ。だから、香港の2ヶ月から始まりシンガポール、香港、台湾、韓国、シンガポールには住んだかな。あとは、仕事で中国行ったり、インドネシア、タイなども行った。
夕弥さんを中心にアジア・海外で活躍するモデルチームの皆さん。
当時の記事はこちら→BALANCE SHOWROOM|EXHIBITION 2018
ーー夕弥さんの周りのモデルの方々も、海外の仕事で出会ったのですか?
夕弥:そうね、香港に10年いたからその間に仲良くなった友達が多いよね。みんな日本から香港に来るモデルは、「とりあえず夕弥って言うのがいるからそいつに尋ねたらなんとかなるよ」って聞いて、来るモデルが多く「香港行きたいと思ってるんですけど、どうですか?」とか相談を受けたり、家に泊めたり一緒に生活していた人もいた。
ーーみんな、夕弥さんに憧れていたんですかね。
夕弥:憧れてたかはわからないけど、とりあえず頼っておけば色々教えてもらえる、そんな存在だったかな。
ーーモデルをする上で大切にしていることはありますか?
夕弥:個人的な意見なんだけど、モデルの仕事って2パターンあって、1つはファッションのことで言うと、クライアントが洋服を見せたいからそのマネキンになってくれっていう仕事と、もう1つはその人が着ているからこそよく見える、その人ありきの仕事と、2つパターンあると思っていて、今回のクライアントがどっちを求めているのかなっていうのは考えるようにしている。
マネキンでいてほしい、服を見せたいってクライアントの場合には、ポージングはいかに服が綺麗に見えるか、を重視して考えてやる。夕弥に来て欲しいっていう仕事の場合は洋服がどうこうよりも俺が着て何をやっているか、そういう仕事の時にはなるべく個性が出るように、いかに自分がよく見えるような感じのポージングをしたりとか分けていて、どっちを求めているかは考えている。
ーーバランススタイルでの撮影の時も、スタジオとロケがありますが、何か違いますか?
夕弥:そうそう、スタジオで商品を見せたい時は、あまり動くとシワがよったりとか、見せたいところが見えなくなってしまうので、動かないようにして、外の撮影は雰囲気を重視して、風景と合わせて考えながら撮影の仕方を変えている。
ーーCMや動画だとまた違いますか?
夕弥:CMはねー、監督がやって欲しいということをやるんだけど、なるべく監督がこうやってくれっていうのをそのままやるとつまらないわけ。監督的にはいいかもしれないけど、やっていることはファッションのマネキンと変わらない。
だから、なるべく監督の想像を超えれるものを出したいなって思ってやっているかな。向こうはこれくらいを求めていたのに、俺のが加わってさらに良くなったよねってなったり、自分の提案がプラスされてより良くなっていたら嬉しいですね。
<中編へ続く>
〜次回配信予定日〜
9月20日(金)中編:アジアモデルの先駆者。モデル・工藤夕弥が語るサッカーとファッションについて
「サッカー選手になることを夢に見ていた、サッカー少年時代」「ファッションへのこだわりは、自分が〇〇る服を着ること!」
サッカーについて、ファッションについて、そして2児の父である夕弥さんご家族についてもお話を聞きました!!
ぜひ、楽しみにお待ちください!
前編|アジアモデルの先駆者。モデル・工藤夕弥が語る海外でのモデル活動について
中編|アジアモデルの先駆者。モデル・工藤夕弥が語るサッカーとファッションについて
後編|アジアモデルの先駆者。モデル・工藤夕弥が語るバランススタイルについて